「自分のため」ではなく「誰かのため」に生きよう。
このメッセージにハッとする人はどれくらいいるのだろうか?
これは、『「利他(りた)」人は人のために生きる』という本のメッセージである。
作家の瀬戸内寂聴氏(89歳)と京セラ名誉会長の稲盛和夫氏(79歳)の対談をまとめた同書は、2人の仏教者が震災後の日本人の新しい生き方を探る内容になっている。
中国や韓国との国家間の軋轢に関する報道を、頻繁に目にする。
今ほど日本とは何か?日本人とは何かを意識する時はない。
戦後、誤った教育によって、日本人は思考停止状態に陥ってしまった。
「平和主義」を声高に主張すればするほど、日本人としての特性、長所、矜持が失われてしまうという皮肉。
私は、日本人としての最大の矜持は、「利他の心」ではないかと考える。
【利他】
(1)他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。
(2)仏語。人々に功徳・利益(りやく)を施して救済すること。特に阿弥陀仏の救いの働きをいう。
(デジタル大辞泉より)
〈天台宗では「忘己利他」という言葉があります。「忘れる己」と書いて、それは普通に読んだら「ぼうこ」だけれども、天台宗では「もうこ」と読むんですね。それに「利他」が付いている。日本天台宗の宗祖、伝教大師最澄の「山家学生式(さんけがくしょうしき)」という論文の中に「好事は他に与え、悪事は己に迎え、己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり」という教えがあります。自分のことは置いておいて、とにかく人のためになるようなことをしましょうっていうことです〉(『利他』より引用 )
「利他」という考え方が急速に注目されるようになったきっかけは、やはり3月11日の東日本大震災だろう。
稲盛氏が震災の印象をこう語っている。
〈震災直後の被災地で最も印象的だったのは、被災者の皆さんの姿です。食料やガソリンなどの物資が不足して、日々困窮していたにもかかわらず、略奪や暴動が起こることもなく、秩序を守って忍耐強く行動しておられました。あれやこれやと不平・不満を言う前に、助けに来てくれたボランティアや自衛隊、警察、消防の隊員たちに感謝の言葉を伝え、地獄のような現実を前にしても、人間性と礼節を失わなかった。阪神・淡路大震災の時もそうでしたが、今回の震災でも、毅然と行動する日本人の姿が世界中から称賛されました。これは、日本人の一人として、ほんとうに誇らしいことでした〉
瀬戸内氏は、今度の震災で亡くなった犠牲者たちこそ、仏教的な愛=「慈悲」の典型だとして、「代受苦(だいじゅく)」という仏教の考え方を引く。
〈仏教の言葉に「代受苦」というのがあります。「獄苦(ごっく)代受」とか「大悲(だいひ)代受苦」とも言いますけれども、ほかの人に代わってその苦しみを全部自分が引き受ける、という意味です。菩薩様やお地蔵様の慈悲を指しますけれども、(中略)そういう(今度の震災で亡くなった)犠牲者たちは、ほかの人に代わって死んでくれた、私たちの苦しみを引き受けて死んでくれたんですよ。だから、ほんとうに貴い人たちなんです。ですから、生き残った私たちは、亡くなった方たちへの感謝を絶対に忘れちゃいけないんです〉
稲盛氏は、一人の老師から聞いたこんな逸話を披瀝する。
〈実は地獄と極楽は、見た目だけからしたらそれほど違いはないそうなんです。どちらにも大きな釜に美味しそうな「うどん」が煮えている。そして、みんなが一メートルもある長い箸を持っている。地獄の住人は、われ先にと箸を突っ込んで食べようとするんですが、箸が長すぎて自分の口にうまく運べず、そのうちに、他人の箸の先のうどんの奪い合いを始めてしまう。結局、ちゃんと食べられなくて、うどんを目の前にしながら、誰もが飢えて痩せ衰えている。ところが極楽では、誰もが箸で掴んだうどんを、向かい側の人に先に食べさせてあげている。だから全員がうどんを食べられて、満ち足りているというんです。このたとえ話というのは、実に含蓄のある面白い教えだと思います〉
〈今の人たちは、楽をしたいということばっかり言う。ほとんどの不平不満は、楽じゃないから怒っているんですよ。その楽っていうのは、自分の欲望が肥大していて、その欲望を全部満たそうとするから、腹が立つんですよね。だけど、欲望が小さかったら、ああ、これで十分、ここで幸せと思うじゃないですか。だから、仏教は欲望を抑えなさい、ということを教えているんですね〉(瀬戸内氏)
現在、日本で起こっていることのほとんどの問題は、日本人が最も世界に誇り、訴えていくべき「利他の心」を失ってしまったことに起因しているのではないだろうか?
今こそ、「利他の心」を取り戻すべきである。
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